たった1枚の写真が棒高跳び選手を失意のどん底に落とすまで
いちアスリートだった
アリソン・ストーキーは棒高跳びの選手で、当初はどこにでもいるごく普通のアスリートでした。しかし、15歳の時にはカルフォルニア州で行われた選手権で優勝し、当時の世代記録を5つも更新するほどの実力を持つまでの選手に成長していました。そして、彼女は優れたアスリート選手として名を馳せる傍ら、高校3年生の時にはモデルのアルバイトをこなすなど、ティーンエイジャーのアスリートとして輝かしく順風満帆な人生を送っていました。しかし、ある日ネットに投稿された1枚の写真によって彼女の人生の歯車は大きく狂わされることになったのです。彼女の人生に起きた悲劇について知る前に、アリソンがどこで、どのようにして育ったのか、彼女の人物像を見ていきましょう。
アリソン・ストーキーとは
アリソン・レベッカ・ストーキーは、1989年3月22日生まれ、アメリカのカリフォルニア州ニューポートビーチ出身の陸上競技選手です。父親のアランと母親のシンティー、そして兄のデイビットの四人家族で、幼少期をカリフォルニアで過ごしました。彼女は高校時代の棒高跳び競技において多くの記録を破り、非常に優秀な成績を修めました。スポーツ家系に育ち、幼い頃から兄たちと共にスポーツを楽しんでいたアリソンは、才能豊かな体操選手でもあった兄デイビッドの影響で体操競技を始めるようになりましたが、すぐにそれが好きではないことに気づきました。そして、数々の競技に挑戦するうちに、自分にもっとも合ったスポーツを見つけました。そしてその競技こそが彼女を一躍有名にし、また彼女を苦しめる原因ともなったのです。
棒高跳びと出会う
様々なスポーツを試すうち、アリソンは自分に合った競技を見つけました。そして、それが彼女の人生を大きく変えることにもなる棒高跳びでした。初めてポールを握って走り出した瞬間、彼女は自分がずっと探し求めていたものがこれだと気づきました。棒高跳びは自分の身体能力や背丈との相性がとても良かったのです。彼女は棒高跳びというスポーツのトレーニングに打ち込みました。そして、競技と真剣に向きあった結果、その後、次々と素晴らしい結果を残すことになりました。このスポーツで絶対に成功したいという強い思いがあったからこそ、彼女は本気になれたのです。それでは、彼女はアスリートとしてどれほど凄かったのでしょうか。その後の彼女が打ち立てた数々の優れた成績をみていきましょう。
次々と記録を更新する
高校時代のアリソンは、棒高跳びで絶対的な記録を残すための努力を怠りませんでした。彼女が練習すれば、練習しただけ記録が伸びていき、2004年には3.81mのチャンピオンシップ記録によって、15・16歳における全米タイトルを獲得しました。この時すでに世代別ではアメリカを代表するアスリートとして頭角をあらわし、高校2年生の時には4.11 mもの記録を達成し、文字どおりアメリカ史上最高の選手となりました。彼女の打ち立てた数々の優れた成績からは、若いながらもストイックに練習に打ち込み、結果を残せる素晴らしいアスリートであったことがうかがえます。その後も成長著しいは彼女は努力と練習を欠かさず、どんどんと高みを目指していきます。
卒業に向けて
高校時代の終わりである4年生になると、彼女は学業とスポーツの両方を高いレベルで両立させていました。そして、アリソンが自分の棒高跳びのパフォーマンスに自信を持つようになるのも必然のことでした。この時、すでにアリソンはアスリートの新星とは呼べないほどたくさんの記録とメダルを持っており、全米レベルで注目されている圧倒的に突出した選手の一人でした。彼女が最後に記録を更新した際には、4.5mという大柄な成人男性の身長の2倍以上の高さをゆうに飛ぶことができたのです。誰の目から見てもアスリートとしての将来を嘱望されていたアリソンですが、そんな前途有望な彼女の未来に、じわじわと不穏な影が迫っていたのです。一体、彼女の身に何が起きたのでしょうか?そこには彼女の人生を狂わせた1枚の写真がありました。
1枚の写真
何一つ不自由のない順風満帆な人生を送っていた彼女に、たった1枚の写真が影を落とすことになります。2007年、当時17歳だったアリソンが競技イベント中に自分の出番を待っていた時、たまたま近くにいた観客が彼女の写真を撮りました。そして彼はアリソンの写真を無断でインターネットに投稿しました。カメラを持っていて、目の前に息を飲むほどの美しいアスリートがいれば、思わず写真を撮りたくなってしまう気持ちは理解できないことではないでしょう。しかし、問題なのは、その写真がインターネット上の「With Leather」と呼ばれる成人男性向けのサイトに掲載されてしまったことです。結果として、たくさんの若い女性たちの写真の中の一人として、性的な目的で閲覧されるようになってしまいました。そして、このことをきっかけとして、彼女に対する周りからの好奇の目はエスカレートしていき、アスリートとして活躍していた彼女の、その後の人生を大きく狂わせることになってしまったのです。
ネット上で話題に
残念なことに、彼女の写真が注目されることになったこの「With Leather」というブログは、非常に評判の悪い下品なブログで、アリソンの写真はあろうことか「棒高跳びはセクシーだが、かろうじて合法である」という性的な視点をもった見出しとともに掲載されたのです。アスリートである自分の競技中に撮られた写真が、不適当な形で勝手に載せられているという事態に気づいたアリソンはすぐさま行動を起こしました。ブログを法的に訴えた結果、ブログへの画像の削除命令が下されましたが、時すでに遅し。インターネットのデジタルタトゥーを根本から消し去るのは非常に困難で、すでに彼女の画像はインターネット上で拡散され、様々なサイトに掲載されていたのです。そしてこれはまだ悲劇の序章に過ぎませんでした。
ネットでバズる
自分のアスリートとしての才能や、競技のパフォーマンス、積み上げてきた実績とは全く関係のないことで脚光を浴び、プライドを傷つけられるような内容で彼女の画像が拡散されたことで、彼女は深く落ち込んでいました。しかし、その間にもインターネットでは次から次へと新たなプラットフォームで彼女の写真が拡散され続け、悲しいことに、予想もしない方向で次から次と彼女のファンを増やしていったのです。その人気ぶりは異常ともいえ、当時もっとも流行っていたSNSである『MySpace』ではファンページが作られ、多数の書き込みがおきるほどの盛り上がりを見せていました。そして、その熱狂は抑えが利かないほど大きくなり、彼女はさらに激しいインターネットメディアの渦に巻き込まれていったのです。
国境を越え、世界中で話題に
インターネットには国境はなく、距離も限りなくゼロに近いです。彼女の美貌や、その存在が瞬く間に世界中で脚光を浴び、人気となったのは不思議なことではありませんでした。そして、それらの反響を受けて、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど、大手新聞社までもが連日のように彼女の話題を取り上げました。また、海外のブログやウェブサイトを通して彼女の美貌と名声はイギリス・ドイツ・オーストラリア・アジアなど世界各地にまで広がっていき、彼女の輝かしいバックストーリーなどとともに紹介されました。世界は若く美しいアスリート界のニュースターであるアリソンに熱狂していたのです。そしてその反響が大きくなればなるほど、アリソンの抱えるアスリートとしての葛藤はどんどん膨れ上がっていくのでした。
アリソンの葛藤
彼女はそれまでアスリートとして時間をかけ、築き上げてきた自分の競技パフォーマンスや記録について誇りを持っていました。しかし、それ以上にどこにでもあるような怪しげなサイトで不本意にも一躍有名になってしまったことに関して、苦悩し、葛藤していました。人気に伴う抱えきれないほどのファンからのメールやラブコールと、殺到するメディアからの取材の問い合わせに対処するために、マネージャーを雇うことさえしなければなりませんでした。また、時にはストーカーが彼女のもとに押しかけてくることもあったため、外出もままならなかったり、夜も安心して眠れないほどでした。文字通り、収拾がつかないほどの熱狂と混乱の渦中に彼女はいたのです。熱狂を鎮め、事態を収拾するために彼女にできることはあるのでしょうか。その後の彼女の行動は意外なものでした。
アリソンの決断
アリソンはこの現状を打破し、どうすれば再び棒高跳びに専念できるかを考えました。そして、自分をいちアスリートとして世界に認めてもらうために、彼女は思い切った方法に出ました。彼女はメディアから逃げるのではなく、自分から大手のテレビ番組に優れたアスリートとして出演し、ビジュアルが先行してしまっている自身のイメージを払拭することにしたのです。この番組でアリソンは若いアスリートたちに棒高跳びでポールをうまく飛ぶためのコツや、アスリートとしての心構えなどを伝授しました。素晴らしいアイデアとも思えたこのアクションの様子は後日YouTubeにアップされたのですが、その結果はアリソンが思い描いていたものとは違い、もっとも望んでいないものでした。彼女が目の当たりにした世間の反応とは一体どのようなものだったのでしょうか。
父への助け
YouTubeにアップされたアリソンの動画には、彼女自身のアスリートとしての能力や棒高跳び競技に関するものではなく、彼女が女性としてどれほど美しく魅力的であるかを言及するコメントで埋め尽くされていました。絶望した彼女はとある人物に助けを求めます。それは父親のアラン・ストーキーです。アランはYouTubeに並ぶコメントの中で法的に問題のあるものや、誹謗に当たるものがないかを精査し、少しでも状況が改善がされることを望み、行動しました。しかし、どれだけ父親が奮闘しても、アリソンの心の傷が癒されることはありませんでした。彼女の人生はこのまま暗く、険しいものとなってしまうのでしょうか?そして同じような被害にあうアスリートは今後も生まれてしまうのでしょうか?しかし、一連の流れを目撃していた誰もがそのような状況を容認し、快く思っていたわけではありませんでした。
変化を求めて
アリソンはインターネットによって生み出される影響がいかに恐ろしいものかを知ることとなった多くの女性の中の一人と言えるでしょう。そんな中、アメリカのテレビ局であるCBSの番組が、ソーシャルメディアやインターネットによってアリソンに起こった悲劇に関する特集を放送し、スポーツ業界を含む世界中の女性たちに起こりうる悲劇について注意喚起しようと考えていました。これ以上、アリソンのような被害者を増やさないことが重要だと考えたのです。このようなまともな反応が当時のアリソンをどれだけ救ったかは定かではありません。しかし、影響力のあるメディアがこの熱狂によって一人の女性の受けた被害を取り上げたことで、もしかしたら第二のアリソンを産み出すことは予防できたのかもしれません。では、肝心のアリソンはその後どうなったのでしょうか。
閉ざされた扉
アリソンも、周りの理解ある人たちも、状況を変えるために何か発信し、行動する必要があると考えていました。しかし、それは既に遅すぎました。圧倒的な注目と、好奇の目によってアリソンの心は深く蝕まれ、今まで自分が情熱を注いできた棒高跳びを続けることができないほど心を閉ざしてしまったのです。アリソンがひとたび棒高跳びの大会に出れば、彼女を一目見ようと熱狂的なファンが殺到し、過剰に注目されることとなり、競技に集中するどころではなくなってしまったのです。純粋なアスリートとしてではなく、好奇の目の対象として、信じられないほど知名度が上がってしまったことの弊害でした。自分の力ではコントロールすることが難しい環境下で、彼女は一体どうすればいいのでしょうか。
彼女が求めるもの
アリソンは美しいだけでなく、賢い女性でもありました。自分が世間から求められているものが何かを良く分かっていたのです。この頃の彼女には、大手のブランドが何社も彼女の美貌や話題性を目当てに、彼女と契約を結ぶことを望み、たくさんのオファーを送っていました。しかし、彼女はそれらの大きなオファーを何度となく断ってきました。なぜなら彼女は、周囲が自分に向ける需要が何であれ、自身が認識している自分の価値観をとても大切にしていたからです。困難な状況下においても流されることのない彼女の人間性と芯の強さを見ていると、彼女の真の美しさは外面やルックスだけではなく、その内面から溢れ出ているものなのかもしれないと思えてきます。見習いたいものです。
アリソンと両親
インターネットから巻き起こった予期しない一連の出来事によって傷ついたのはアリソンだけではありません。17歳の大切な娘が写真とともに不名誉な見出しで掲載され、傷つき、心を病んでいく娘の姿をすぐそばで見ていたアリソンの両親も同じように傷つきました。もちろん何もしていなかったわけではありません。アリソンの父はインターネット上の膨大な数のコメントを管理して何とか状況をおさめようとし、アリソンの母は娘のことを精神的に支え続けていました。大切な娘のことを気にかける彼らの心労は想像に難くないですが、彼らにとって、アリソンが決して棒高跳びのキャリアを諦めなかったことは、唯一の希望であり、心の支えだったことでしょう。どのような困難があっても支え合う、偉大で素晴らしい家族の愛がそこにはありました。苦しみながらも努力を続けた彼女はその後どのような人生を向かえたのでしょうか。
深い心の傷
アリソンの写真がインターネットに出回ってから10年以上が経過しました。彼女が高校を卒業後、競技の世界から距離を取ったことで熱狂はおさまりましたが、今もなお、彼女の心には深い傷が残っています。進学したカリフォルニア大学バークレー校では社会学を専攻し、博士号を取得しました。メンタルに関するエッセイとして、自らの実体験を1冊の本に収めましたが、残念ながら、当時の深い悲しみによる決断のため、その本は破棄され、今となっては残っていません。そして大学卒業後はオリンピックを目指してトレーニングを続けたものの、2012年に出した自己ベストを更新することができず、アスリートとしての活動を中断しました。もし、あの写真がなかったら、彼女はアスリートとしてどのような偉大な結果を残していたのでしょうか。おそらくオリンピックの舞台で輝かしい成績を残していたのではないかと想像せずにはいられません。
性差
アリソンは現在、約10年前に身に起こった状況を考え直し、17歳の自分に起こったことがいかに異常で不当だったかを考えるといいます。最近のアリソンのインタビュー記事では、なぜ自分の写真があそこまで拡散され、脚光を浴びることになったのか、その状況をつくったのは世界に浸透している性差別ではないかと考え、そのように主張しています。たった一枚の写真、写っていたのが女性だったからこそ、セックスシンボルというレッテルを貼られ、不当に利用されたのではないかと。metoo運動などで近年問題視されることの多くなった性差別の問題ですが、圧倒的不特定多数からの被害を受けたのは彼女が最初の被害者だったのかもしれません。このことから私たちが学べる教訓がきっとあることでしょう。
前向きな人生へ
そんなアリソンは、2017年にアメリカ人プロゴルファーのリッキー・ファウラーとの交際を始めました。2018年6月には婚約し、2019年10月に二人は結婚しました。アリソンはかつて人生で最悪な事態に直面したにも関わず、それらの苦難を乗り越え、リッキーと良好な関係を築くことができました。最近では二人でスポーツを楽しむ仲睦まじい様子も彼女のインスタグラムに投稿されています。望まない形でインターネットで拡散され、一躍有名になってしまった過去を克服し、ナイキやユニクロといったブランドのモデルとして活躍するようになったのは簡単なことではなかったでしょう。再びインターネットの前でその美貌を幸せな姿で披露してくれるのは嬉しいものですね。彼女の今後の活躍と幸せを願ってやみません。